月曜日, 3月 23, 2009

東京という街と祝祭

半年ほと前の長野でのハーフマラソンに続いて、いささか無茶ではあったのだけれど、東京マラソンを走りました。今回はフルマラソンです。友人の多くが応募をしたなかで、抽選に通ったのが僕ひとり。時々友人達のあたたかい声援にはげまされながらの完走となりました。

東京は僕が19歳で大学の寮でひとりぐらしをはじめてから、途中藤沢やアメリカに住んだ時期もあり、一昨年名古屋に移り住んだりもありますが、のべで10年以上も暮らしてきた街です。

新宿の中央公園で集合、都庁前スタート、飯田橋で皇居方面に向かい、日比谷公園、芝公園を通り、国道1号を品川へ。品川駅のすこし手前で折り返し、ふたたび日比谷へ、銀座のガード下が中間地点、銀座、日本橋を通り、浅草橋、浅草の雷門前でふたたび折り返し、もういちど日本橋、銀座に向かい、銀座から豊洲方面に向かう地点が35km。

ここからいくつか高架や橋を通る埋め立て地エリアにはいり、それぞれの橋の最初の半分が、数少ない上り坂となります。

埋め立て地は車中心の都市計画。遮るもののない広い道で、横殴りの強い雨と風の中、ビッグサイトのゴールに向かいます。


10年以上暮らしてきたおかげで、コースの殆どが、かつて歩いたことがあったり、バイクで走った道でした。あと何キロでどこに着くか、身体でなんとなくわかったことが、完走できそうだという気持ちに繋がり、不安がなかったのが良かったことでした。

途中何度も考えたことが、都市と祝祭ということでした。
最初の集合は、3万5千人が新宿に集まるひとつの大きなイベント。預ける荷物は大型トレーラーになげこまれ、大きなスピーカーからのアナウンスが飛び交う。映画”未知との遭遇”の最後のコンタクトシーンのようでした。

東京のような第一級の都市の大通りを通行止めして行う走りは風景として圧巻です。
かつてベルリンで展示を行ったとき、ある日がローラーブレードのレースの日でした。街のそこかしこが通行止めになり、高架の上を人がもにすごいスピードで走り抜けていったのを思い出しました。

このような、規模の上での祝祭感と並んで、多くのボランティアや、特に浅草周辺の下町、旧下町エリアでの沿道の人のあたたかさ、参加感は感動するものがありました。沿道の人の多くがチョコレート、飴、あたたかい飲み物を振る舞います(ここにさしかかったころ、冷たい雨と風が再びはじまったのでした)私の母は最近入籍した私の妻と一緒に浅草で僕をまっていたのですが、いつのまにやら他のランナーに飴をふるまっていたようです。

こういったことを体感して感じたのが、都市のモダンな祝祭としてのマラソンということです。
学生のころ、都市の中での非日常ということに関心をもっていたのですが、
このマラソンはそのひとつであると思います。

特に、東京の西半分は戦後人口が増大し、開発されたエリアであることから、浅草の三社祭りのような伝統的な大規模な祝祭に欠け、近所の神社での秋祭りや盆踊りがあるのが関の山。。。という状況でした。コミケのようなモダンで大規模な祭りは、それを欲する人のために専用の場所(ビックサイト)で行われ、日常の風景の中に登場することはありませんでした。

東京マラソンは、この 
1)東京における大規模な祝祭の欠落 
2)モダンな祝祭が日常から排除される仕組み上の問題が1)に輪をかけている 
という2つの問題を解決していると考えます。

東京の、現代の祭りとして、東京マラソンを見たときに、これは今後も大きな可能性をもっていると感じたのでした。

*もひとつ、このような都市規模の祝祭の中でのモバイル技術(要するに、携帯)の役割についても雑感がありますが、まだまとまっていないので、次の機会に書きたいと思います。