火曜日, 1月 25, 2011

技術の更新に従って再現できなくなってしまう作品


Sat, Nov 06


  • 00:41  技術の更新に従って再現できなくなってしまう作品がメディアアートには多く、それが逆に技術に依存した作品群という印象を観客に与え、それがために現代美術の一部とみなしたくないという人もいるが、この状況をどう考えるか?という質問をロンドンの学生からうけているがどう答えようか。。

  • 00:45  続き)状況を否定しないが、(1)作品コンセプトを保持した上で現在の技術で再現可能なものがある一方で(2)作品コンセプトと制作時に使用した技術が不可分なものもある。Nam June Paikのブラウン管TVの電子の軌跡を磁石でゆがめた作品などは(2)ではないだろうか。

  • 00:48  続き)だからといってブラウン管TVの作品が今になって現代美術でなくなってしまうことはない。確かにブラウン管ごと機能するように作品を管理するのは大変だが、現代美術かどうかを決めるのは技術ではない。

  • 00:55  続き)。。という返事をしようかと思ったが、そもそもNam June Paikの作品は現代美術の中にあるものなので、正面きった返事になっていない。質問の肝は、メディアアートの主要な要素として技術がある、という理解が適切なのかどうかということだ。

  • 00:58  続き)また斜めからの答えになってしまうが、そもそもメディアアートとう枠組みはあってもいいけど、今となっては個々の作品はその枠組みから自由になっている。だから見る人も自由になればいい。ああ、結論がでた。

  • 01:09  続き)メディアアートの主要な要素として技術(と作品コンセプトの同時代性?)があって、それが現代美術との間に壁を作っている、という理解が適切なのか、が問いだったとしても、この問いにこだわる意味はどんどんなくなってきているという答え。

  • 01:12  まとめ)メディアアートは現代美術の一部だし、使われている技術と作品コンセプトの同時代性がその作品をメディアアートにしているわけではない。という返事を出します。


  • Fri, Jan 21


  • 17:21  ロンドンの学生の質問にメールで答えたやりとりがここに掲載されています。英文。僕の作品、そこでの技術の役割など。http://clairehorne.blogspot.com/2011/01/noriyuki-fujimura-interview-by-me.html



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    月曜日, 6月 14, 2010

    Personal Reference List for Research

    Personal Reference List for Research
    shutters
    A Soft Kinetic Membrane for Environmental Control and Communication
    http://web.media.mit.edu/~marcelo/shutters/index.html


    LuminAR
    http://direct.media.mit.edu/people/natan/current/luminar.html

    Genevieve Bell

    Intel Fellow, Digital Home Group
    Director, User Experience Group
    INTEL CORPORATION
    http://www.intel.com/pressroom/kits/bios/gbell.htm




    土曜日, 6月 12, 2010

    Reading List


    1) Using Computers: A Direction for Design, by Terry Winograd and Fernando Flores, 1986

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 37

    From the book ' Understanding Computers and Cognition
    This Article is Chapter 12.
    You can read part of article from following link

    2) The Six Elements and the Causal Relations Among Them by Brenda Laurel, 1991

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 38
    Downloadable from following link

    3) Direct Manipulation: A Step Beyond Programming Languages by Ben Shneiderman, 1983

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 33

    http://portal.acm.org/citation.cfm?id=1320072
    You can buy it online.
    http://www.computer.org/portal/web/csdl/doi/10.1109/MC.1983.1654471

    4) Proposal for a Universal Electronic Publishing System and Archive by Ted Nelson, 1981

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 30
    Downloadable from following link(After subscribe scribd.com)

    5) Personal Dynamic Media by Alan Kay and Adele Goldberg, 1977

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 26
    Downloadable from following link

    Originally from the book 'Literary Machines'

    6) Four Selections by Experiments in Art and Technology by Billy Kluver, 1961, 1966, 1972

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 14
    You can read part of article from following link

    7) A Research Center for Augmenting Human Intellect by Douglas Engelbart and William English, 1968

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 16

    8) Soft Architecture Machine by Nicholas Negroponte 1975

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 23

    9) Responsive Environment by Myron W. Krueger 1977

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 25

    10) As We May Think by Vannevar Bush 1945

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 02

    11) Man-Computer Symbiosis by J. Ç. Licklider, 1960

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 05

    12) Sketchpad: A Man-Machine Graphical Communication System, 1963

    From the Book 'New Media Reader'
    This Article is Chapter 09









    月曜日, 4月 26, 2010

    コンピュータと人間の関係:CHI2010

    アメリカの計算機学会の支部会として、CHI(Human Factors in Computing Systems)というのがあるのですが、先日これを見学してきました。

    詳細は省きますが、発表されたものの中でウェブに映像があるものをひとつ紹介します。
    Skinput
    http://www.youtube.com/watch?v=g3XPUdW9Ryg

    自分の手をそのまま入力装置にしてしまう研究。手を叩いたときの手と肌の振動を分析するので、振動センサーを内蔵したアームバンドをひとつ手に巻くだけでよい。
    学会では聴衆の目の前で実際にデモを披露していました。
    Demo or Dieという格言?がこの分野の学生たちの間にありますが、まさにその格言を地でいっています。

    日常生活の中で使えるものかどうかの評価はまだのようですが、携帯音楽プレーヤーに必要な5つのボタンを試しに5本の指や腕の5カ所に割当てて試験したところ、90%前後の確率できちんと情報がとれたとのこと。

    5年10年後には私達の生活の中に入ってきているかもしれません。


    例えば、(日本の携帯にはあまりこの機能がないですが)Haptic feedbackという、携帯のタッチパネルが振動してタッチした感覚をより鋭敏に指先に知らせてくれる機能。このような触覚によるインターフェイスは、10年ほど前にやはり今回のような学会で発表されたコンセプトでした。

    月曜日, 2月 15, 2010

    ソウル、UXデザインという仕事、HCI Korea

    1月から韓国、ソウルにきています。ここではUXデザイン(User Experience Design)という仕事をはじめてます。

    もうすぐ来てから1ヶ月、生活の基本はセットアップ終了、しかし韓国語はまだこれから。日本の大学での研究も再スタートを切らなくてはいけないし、作品の製作発表機会も場所を問わず作ってゆかなければ。

    この週末はLunar new year's dayというお休みでした。要するに旧正月。ソウルは、というか、韓国全体もそうかもしれないが、クリスチャンが多く、そのため町を歩いていても教会が目立つ。仏教もそれなりに盛んなはずだが、 日本のようにそのへんに神社仏閣が、、ということはない。そのためか、正月といってもあまりお祭りの雰囲気はなし。同僚に聞いても、皆家族と一緒に過ごすものだとか。アメリカでいうThanksGivingに近い意味合いで皆過ごすのでしょう。

    デザインやアートのシーンはどうなっているのか?
    まだこれから頑張って探してゆかなければならないところですが、

    1)建物のデザインには興味深いものがいくつかありました。

    インサドンギル(仁寺洞ギル)にある
    サムジーキル(쌈지길)
    (以下日本語の案内)
    http://www.atspcom.jp/korea/shop/ssamziegil/ssamziegil.html

    この建物は、東京にある表参道ヒルズのようにゆるい螺旋を描いて中庭を中心に上ってゆく構造になっています。

    どちらが先なのか?
    サムジーキルは2004年にできた。表参道とだいたい同じ時期ですね。。
    この中には、ファッション、雑貨の店がはいっていますが、クオリティが高い。かつ、基本的に韓国のものを売っている。

    いくつかの店は、モダンな工芸品の店で、作家自ら店を運営している。
    http://www.banggallery.co.kr/
    (ウェブサイトをひらくと音楽が流れるので注意)
    は、昔の家のドアや家具の一部を使って新しい家具をデザイン、販売している工房。

    http://tabisuke.arukikata.co.jp/mouth/59919/
    ここも、モダンな金属工芸品の店。
    モビールですばらしいものがいくつかあった。

    2)HCI Korea

    HCI(Human Computer Interaction)の韓国の学会を見てきました。

    延世大学のHCI Labのプレゼンテーションは良かった

    ゲストパフォーマンスとして近藤哲也さんがライブ演奏を行い
    (以下近藤さんの紹介のあるページ)
    http://amc.geidai.ac.jp/?p=960

    近藤さんの紹介で、Hongik Universityの

    Kim Younghui
    http://www.younghui.com/

    Suh Dongsoo
    http://dmdwcu.hongik.ac.kr/index_e.html
    に会うことができた。


    まだまだこれから。結果もなにも出ていないし、仕込みもこれからというところです。

    月曜日, 3月 23, 2009

    東京という街と祝祭

    半年ほと前の長野でのハーフマラソンに続いて、いささか無茶ではあったのだけれど、東京マラソンを走りました。今回はフルマラソンです。友人の多くが応募をしたなかで、抽選に通ったのが僕ひとり。時々友人達のあたたかい声援にはげまされながらの完走となりました。

    東京は僕が19歳で大学の寮でひとりぐらしをはじめてから、途中藤沢やアメリカに住んだ時期もあり、一昨年名古屋に移り住んだりもありますが、のべで10年以上も暮らしてきた街です。

    新宿の中央公園で集合、都庁前スタート、飯田橋で皇居方面に向かい、日比谷公園、芝公園を通り、国道1号を品川へ。品川駅のすこし手前で折り返し、ふたたび日比谷へ、銀座のガード下が中間地点、銀座、日本橋を通り、浅草橋、浅草の雷門前でふたたび折り返し、もういちど日本橋、銀座に向かい、銀座から豊洲方面に向かう地点が35km。

    ここからいくつか高架や橋を通る埋め立て地エリアにはいり、それぞれの橋の最初の半分が、数少ない上り坂となります。

    埋め立て地は車中心の都市計画。遮るもののない広い道で、横殴りの強い雨と風の中、ビッグサイトのゴールに向かいます。


    10年以上暮らしてきたおかげで、コースの殆どが、かつて歩いたことがあったり、バイクで走った道でした。あと何キロでどこに着くか、身体でなんとなくわかったことが、完走できそうだという気持ちに繋がり、不安がなかったのが良かったことでした。

    途中何度も考えたことが、都市と祝祭ということでした。
    最初の集合は、3万5千人が新宿に集まるひとつの大きなイベント。預ける荷物は大型トレーラーになげこまれ、大きなスピーカーからのアナウンスが飛び交う。映画”未知との遭遇”の最後のコンタクトシーンのようでした。

    東京のような第一級の都市の大通りを通行止めして行う走りは風景として圧巻です。
    かつてベルリンで展示を行ったとき、ある日がローラーブレードのレースの日でした。街のそこかしこが通行止めになり、高架の上を人がもにすごいスピードで走り抜けていったのを思い出しました。

    このような、規模の上での祝祭感と並んで、多くのボランティアや、特に浅草周辺の下町、旧下町エリアでの沿道の人のあたたかさ、参加感は感動するものがありました。沿道の人の多くがチョコレート、飴、あたたかい飲み物を振る舞います(ここにさしかかったころ、冷たい雨と風が再びはじまったのでした)私の母は最近入籍した私の妻と一緒に浅草で僕をまっていたのですが、いつのまにやら他のランナーに飴をふるまっていたようです。

    こういったことを体感して感じたのが、都市のモダンな祝祭としてのマラソンということです。
    学生のころ、都市の中での非日常ということに関心をもっていたのですが、
    このマラソンはそのひとつであると思います。

    特に、東京の西半分は戦後人口が増大し、開発されたエリアであることから、浅草の三社祭りのような伝統的な大規模な祝祭に欠け、近所の神社での秋祭りや盆踊りがあるのが関の山。。。という状況でした。コミケのようなモダンで大規模な祭りは、それを欲する人のために専用の場所(ビックサイト)で行われ、日常の風景の中に登場することはありませんでした。

    東京マラソンは、この 
    1)東京における大規模な祝祭の欠落 
    2)モダンな祝祭が日常から排除される仕組み上の問題が1)に輪をかけている 
    という2つの問題を解決していると考えます。

    東京の、現代の祭りとして、東京マラソンを見たときに、これは今後も大きな可能性をもっていると感じたのでした。

    *もひとつ、このような都市規模の祝祭の中でのモバイル技術(要するに、携帯)の役割についても雑感がありますが、まだまとまっていないので、次の機会に書きたいと思います。

    日曜日, 6月 22, 2008

    ジマンパワーとマラソン

    先日、友人にさそわれて、生まれてはじめてハーフマラソンというものにでました。
    結果は、”這ってでも完走”という目標はかろうじて達成できたものの、最後の5kmは走れないのでとぼとぼ歩く(両足が宙にうかない)というさんざんなものでした。

    白状すると、今回の参加はジマンパワー80%、友人と走れる楽しさ15%、自分の健康に気遣う5%という分量のやる気で参加していたのでした。

    この研究者のブログをみるかぎり、”ジマンパワーにはまだよくわかっていない部分が多い”そうで、ああ、未解明のものをたよりにしていたとはなんとリスキーであったのだろうかと、反省しながらも、今後のジマンパワーの解明に期待している私でした。

    ジマンパワーの副作用として、”たまに走りたい”病にかかりました。今日も雨の間をぬって数km走りました。

    また、ジョガーを支える技術は、上記研究中のジマンパワーだけでなく、シューズ、ウェア、ジョガーSNSmp3,GPSなどなど日夜進んでおり、このへんの勉強と(可能であれば購買も)重要かと思ったのでした。

    又今後、”たまに走りたい”病が深まっていく様子など、お伝えします。